<< September 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
プロフィール
カテゴリー
コメント
携帯
qrcode
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


天川から洞川へ 旅の途中の巻
 
だいたい、あの「道しるべ」というものは、どうしてあんなに魅力的なのだろう

もし、あそこに何の道しるべもなければ、
もしや、行き止まりなのでは、きっと迷子への、など、マイナスのイメージしか湧いてこないであろうあの扉を、
見事にワクワクにすり替えてしまうのだからたまったものじゃない。

少々の疲れを感じつつ、あたしたちはその道を進みだした。


そこは、えらく前になんとか舗装されたのか?位のなんとなく続く、まさに山道、である。
見渡す限り、伸びに伸びた大きな木々が風に揺れる音と、また降り出したらしい雨音が深くざわめきと、靄がかった行く手に、少々の不安が頭をよぎる。
いくら行き当たりばったりのあたしたちとはいえ、あまりにあの道しるべは曖昧だった。

「どの位行けばお寺とやらに着いて、どの位でつり橋なんだろね」
「んー、確かに、普通、〇〇寺〜キロ、とか書いてあってしかり、だよね」
「どうする?引き返す?」
「んー、、、」

引き返すには絶好の距離しか進んでいない
引き返すなら今だった。
どこかちょっと納得のいかない気分を覆い、あたしたちは来た道を戻る事にした。
先が判らないチャレンジをするにはもう少しの何かが必要だった。


何かわからないが、何かを探すようにあたしたちはキョロキョロしながら少し来た道を歩く

あ、と友が見た、その微妙に舗装された山道の下に
錆びて転げ落ちたであろう、ボロボロの看板らしきものが捨てられたようにそこにあった。

『つりがね橋・900m 龍泉寺1,2km・・・』
いや、数字は微妙に違うかもしれないが、
いわゆる「〜キロ」の文字がそこには確かに書かれていた。
ここを1キロ弱歩けばこの場所に行ける!!
そんな'飴玉'に私たちは言わずもがな心揺さぶられる。

お寺はともかくとして、問題は「つり橋」だ。
つり橋、何処に、どんなふうにつり橋は架かってるんだろう。

「あったね、何キロ、、、」
「あったね、書いてある、、、」
「どうする、行く?」
「・・・うん!!せっかくだし!!」

何がどのように「せっかく」なのか全くわからないが、その判断までにおおよその時間はかからなかった
あたしたちは、また来た山道を歩きだすことにした

さっきまで胸に罹っていた「なんとなく」の不安は無い
後何百メートルも行けばつり橋が待っているのだ。
そう思うと、少しばかり山中も明るく照らされたようにすら見える
先に見える登りの細道も風通しがよく、
さらに暫く歩いていると、前から1人の男性がこちらに向って山道を下ってきていた。

擦違いざまに友が挨拶を交わす
その男性にあまり疲れた様子を感じない
その事があたしたちに根拠の無い自信すら与えてくれる
その男性はおそらく、つり橋からやってきたのだ!きっとお寺から鍾乳洞にやってきたのだ!!
もう、つり橋は憧れそのものだった。
どんな登りも辛くは無い
つり橋の先にお寺が待っている
さらに登るもうすでに舗装されているのかすらわからない細道
これだけ高い処からさらに登ったのだから、つり橋はおそらく、山の上に架かっていて
その先には、きっとこの山の頂上にそのお寺はあるんだ!

暫くしてあれだけ登ってきた山道は下りに差し掛かってくる

ふと、大事な事を思い出す。
あたしたちは確か、「ハイキングマップ」を貰ってきた事を。
そして、見事に車に置いてきてしまった事を。
車で走る道を探しているときに何故か用いたあのハイキング用
ハイキング時に車に忘れ去られたハイキング用。
お互い1部ずつ貰ってきたのだから、どちらか持っていてもおかしくない、そのハイキング用。

ま、そんなもんだねーと、その時
少し先を歩いていた友が立ち止まる

これ・・・どっちだろう・・・


見事に道が二手に分かれて伸びている。

そこに、
道しるべは
無かった。



天川から洞川へ 面不動鍾乳洞の巻
 
険しい山道が終わらされた突き当たりに「茶屋」はあった。
ご夫婦経営なのだろうか、年配の女性が先客の相手をし、
同じく年配の男性があたしたちに鍾乳洞の入場券を売ってくれた。

茶屋に着く前に、山肌側にお不動さんが祭られていた。
おそらくこの鍾乳洞の名はここからきているのだろう事は誰でもすぐに察することが出来るだろう
いろんなことを後回しにして、
登り始めは肌寒さすら感じた山の温度の中、やたらと汗をかいた身体を冷やしてやってくれという本能に身をゆだね、急ぎ早に鍾乳洞へと向うあたしたちに、
茶屋のおじさんは「いってらっしゃい!どうぞゆっくーりね、でも、きっと寒いから、そうそうゆっくりはできんかもねー、あ、足元気をつけて、つるつるすべるから、じゃ、ごゆっくりー」と
その声に「いってきまーす」と声をそろえて答えた。

ここから入るんですか?と聞かなきゃ分からないくらいの大体な入り口に足を踏み入れると
帰り道、と交差するようになっている
おそらくグルっと一周回ってここから出てくるのか、と考えると、どうも、逆走したくなる気持ちを抑え
本当にツルツルすべる岩に足を攣られながら一歩一歩前進・IN・鍾乳洞。


薄暗く、冷蔵庫の中に入ったような冷たさに、おじさんの言葉が響く。
確かにここにながいは無理だろう、たとえこの夏一番の暑さだったとしてもだ。
汗は急速に縮こまり、半袖の自分が間抜けにすら思えてくる。

暫くたったところで、何処からか男女楽しそうな声が聴こえてくる
後から来た人だろうか、いや、あたしたちがあの山道を歩いている時、
前にも後にも人影なんてこれっぽっちも感じなかった。
という事は、おそらく、おじさんの言う「ゆっくり」に賛同できる強硬カップルでも居たのだろう
すぐそばに聴こえる声に「どんな奴らなんだろう」という興味が湧き湧きだったが、
その声は聴こえてきた時と同じように突然聞こえなくなった。


だいぶん前の話になるが、
どこかはすっかり忘れてしまったが、
結構大きな鍾乳洞で探検をしたことを思い出した。
その鍾乳洞には2本ルートがあって、普通の観光ルートと、冒険ルートが用意されており
普通にプラス500円を払えば誰でも冒険家になる事が出来るという優れものだった。
それに心くすぐられない分けがなく、すぐさま冒険ルートを選択したのだが、
入り口で渡されたヘルメットとそれに付属されていた懐中電灯があんなに役に立つとは思いもよらぬほどの本格探検隊となったのだ。
その時、勿論頭を流れていた音楽は、「カーワグチ〜ヒロシハぁ〜(嘉門達夫Ver.)」だった事はいうまでもない。

そんなくだらない思い出話を友にしながら、アットホームな鍾乳洞を進んでいく。

他の様々なそれと同じく、
滲みこんだ山水で溶かされた鍾乳石がいろんな形に姿を変え、それに1つ1つ名前が付いている。
見えなくもないが(笑)どれも星空に描かれた神話の当人達の姿のように、
現代に慣れてしまっているあたしの目にはどれも「うーん、見えなくはない」という現実的視野と、
イマジネーションでしょう、ねぇあたし、という狭間で面白く、それは、どうやら友も同じだったようで笑い合えたりする。
こういう時に笑い会えない人と旅はするもんじゃない、と、あたしの辞書にはふと文字で記入されているのである。

名前の付いた鍾乳石をあれよあれよと覗き込み、立ちはしゃがんでの見学会は、思っていたよりずっと楽しいものだった。

結局出口に到着してもカップルの姿は見る事が出来なかった
30分程大満喫して、摂氏8度の冒険は終わり、
心地よく解凍してくれる山の空気に身を委ねる。
茶屋を横目にあたしたちは向かいの大きな山々を眺める
山の中に刈り込まれた模様が何に見えるのかなどイマジネーションを楽しみながら
自分たちがいかに小さいかを体中で感じる

深い山を観るといつも思う
あれは、1本1本の木があれだけ集まって山に見える
1本だけだとただの木だ
ただの木があれだけ集まると大きな山に見えて1本なんて分からなくなる
山の沢山の木の1本になればそれが何処にあるのかなんて消えてしまうかの如く見えなくなる
山にのまれるただの1本になるか、それでも見分けられる1本になるか
それはやはりその木自身の問題なんだなぁと、そんな事をよく考えたりする



面不動鍾乳洞は、100年前くらいに、村の若者2人が見つけたものなのだと、
中で見た説明書きには書いてあったのに、
表に銅像になっている人は1人だった。
なんでだろうね、
にしても、鍾乳洞の中にあった3体の動物(サルetc)の骨の化石?骨?すごかったね、
などと話しながら、来た道を下ろうとしたそのあたしたちの前に
茶屋に着いた喜びですっかり見向きもしなかった別道がひょこっと扉を開いていた。

扉を開いていたといっても、扉があるわけではない、勿論だが。

ただ、右に降りていけば、来た道
真っ直ぐ吸い込まれれば、新たな道、なのである。

あたしたちは、ふぅーん、と顔を合わし、
真っ直ぐにその山道へと足を踏み入れることにした。


その山道の入り口には、木で組まれた薄れた道しるべにこう書いてあった
「→・・・寺、→・・・つり橋」、と。
薄れてよく分からないが、道は続いている。

曇り空に加え、そろそろ太陽も西へと傾き始めた、すこしもやのかかる山に
なだらかに、そう、
道は続いているのである。

天川から洞川へ
 
天河神社を出た私たちが向うは、目指せ!鍾乳洞。

しかし、考えてみれば、いや、考えずともすぐに道を見失う。
なぜなら、あたしたちは、これから向うべくその「鍾乳洞」の読み方も場所も、何も知らなかった。

「おじさんに聞けばよかったね、鍾乳洞」
「だめっしょ、また不便かけるよ」
「そっか、、、そうだよねぇ」
そう、友は何時も冷静沈着なのである。
それでいて、中に沸々した'動'を持っている
凄く器用で凄く不器用な人だ。


ま、とにかく、情報収集しなければ話にならん、と、行きしなに横目にした、村の案内所に足を伸ばすことにした。

山小屋のような案内所の外には、この辺りの大まかな見取り図的な地図の看板があり、
来るまでに何度か目にした標識の名の、向うべく鍾乳洞の名前を探す
そんなに遠くではなさそうだ

中に入ってみると、目移り以上のパンフレットが並んでいる
何故か友は、だから〜車だから〜、だからさぁ〜と、突っ込んでも突っ込んでも「ハイキング用」のパンフばっかり手にするので
ちょっと広域の地図が載ったものと、ハイキング用のと一部ずつ選んで
やたらと真剣にパソコンの画面に向って何かしている風の案内所の人に「貰っていきます」と声をかけて車に乗り込んだ。

友が横でパンフレットを見ている
そんなにハイキングがしたいのか?と聞くと、ん?いや、とすっとんきょうな返事が返ってくる
それ、ハイキング用だよ
あ、またか、と、友。
あたしたちはまた、なんとなーく鍾乳洞へと駒を進めて行く

また何本かのトンネルと、激しく工事中のくねり道を超え、洞川温泉へとたどり着いた。
目指すは『面不動鍾乳洞』


小京都のような、少し懐かしい、それでもあからさまに整備された川沿いの道に
おもむろに「面不動鍾乳洞」と看板の立つ、数台停められる程度の砂利の駐車場があった。
車を停めてから、ここに停めて良いのかを確認しつつ、
その目の前から続く、あからさまに険しい山道へと向う「面不動鍾乳洞・こっち」みたいな看板に従うしか道はない。



こんなに山々に囲まれながら、ここに来て初めての本格山道に足を踏み入れる
少し歩き出すと「モノレール・5分」のような看板とレールが見える
乗り物自体はそこにはなかった
誰かが乗って行ったのか、たまたま下になかっただけなのか
モノレールと思しきものが上がっていけるようには到底思えない、
超特急ジェットコースター並みの急斜面をまっ直線に伸びたレールに
この後の山道の過酷さを伝えられる。

誰か乗るのかなぁ?
お年を召した方とかには、この山道無理だろうしね
でも、乗る方が心臓に悪くないか?
そーだね、、、なんて失礼な事を言いながら、息を切らし延々とくねるその山道を登る登る・・・


幅2メートルあるかないかのその道は、真ん中だけセメント風の何かで整備された平らな面があり、
両脇は山の斜面を無理やり階段状にしたように作られ、片方には山肌、もう片方は、柵もロープもない、いわゆる「断崖絶壁」のようになっており、なかなかデンジャラスな作りだ

長い長い蛇のようにくねる山道から見える温泉街に並ぶ小さな屋根屋根が、あたしたちの居る場所の高さを嫌でも教えてくれる
人々の息遣いがここまで感じられる暖かな感じの街
山沿いを流れる川に架かる橋は、皆一様に赤に近い朱色に塗られ、
その光景は山と人とを繋ぎ、まさに、自然の神々のための通り道のように見えた。

山々から日々人間界に出勤してくる神々
正装して、都会からやってくる人々を前に壇上に立ち
夕暮れ時、あー、今日もいろーんなお願い事聞いちゃったよ〜、なんて他の神々と話しながら
それぞれの山々に帰って行く。
行きかう来客たちの合間を縫って、見えるのは土地の人々にだけ
そんな神々に、土地の人々は軽く会釈をしあいながら労をねぎらって、それぞれの夜を迎える。
なんか、そんな光景が目に浮かぶ、
きっと、それは、日々活きている生活がここにあるから感じられる事なのだろうと、
特別じゃない当たり前の生活が、もう、変わらず何百年とここにあるからなのだろうと
微笑ましく、そして、うらやましくありながら。


街を流れる清流の川音がザーザーと雨音のように届き、遊ぶ子供たちの声までもが聞こえてくる
大きな山々に包みこまれているせいだろうか、その音は、まるでたった1メートル先にある物音のように鮮明に響き、不思議な感覚に見舞われる。

「モノレール・5分」のその道のりは、徒歩20分ほどだったろうか
私たちはようやく「茶屋」にたどり着く事が出来た。

天河神社 クリスタルの巻
 私の前を、天河神社のおじさんが先導している。

あまりの急な展開に、私たちは戸惑いを通り越して言われるがままになっていた。



ますます細くなる道は、地元の道なのだろう
おじさんは私たちの車を気遣いながらも、その「クリスタル山」に向って進んでいく。


走り出すと少し冷静になってくる。
クリスタルって水晶だよね、どうする、案外クリスタル売ってるとことかで、
妙なもん売りつけられたら 笑
海外で絨毯売りつけられるみたいに??笑
みたいな失礼な話をしつつ、
てかさ、あのおじさん、自由だよね、きっと偉い方の人なんだろうね
てか、あのおじさんの存在自体不思議な空気、本当に存在している人かなぁ、笑
なんて詮索しているうちに、その「クリスタル山」とやらに到着したようだ。

おじさんは、おもむろに空き地のような場所に勝手に車を止めている
私も続いて、ちょっと遠慮気味に空き地の端っこの方に車を停めて鍵をかけた。

当たり前だが、お店らしき場所はない。

あるのは、空き地の下に流れる川と、私たちを取り囲む山々


おじさんは、私たちが降りてきたのをみて、またしてもおもむろに川の方へと近づき
対岸に向って大きく腕を伸ばし、こう言った
「あそこに見えるのが六角岩、クリスタルみたいでしょぉ」

川幅は大きく、あまり視力のよくないあたしたちは目を凝らしてみてみる
確かに対岸に大きな先の尖った大きな岩が、でん、とあるのが見える。
この距離でちゃんと見えるのだから、近づいたらおそらく軽く1メートルは超えているくらいの大きな岩だろう。
そのすぐ裏は、結構な急な斜面の山がそびえている
前には急流になっている川
どこかから運んで来たんじゃないことくらいはすぐに分かる。


あたしたちが写真を撮ろうとしているのを、知ってか知らずか、
おじさんの話は次に移っていく。

写真は夢中で撮っている友に任せて
あたしはおじさんの話の続きに耳を傾ける

次におじさんが指したのは、その六角岩を背にした、こんもりとした山だった。
ちょうど、六角岩と向かい合うように、他の山とは別物のように、そこに、でん、とそれはあるように見える。


「クリスタル山。この山自体が大きな岩でねぇ」と、またあの不思議な具合でどんどん話を進める
おじさんの話具合は、よく耳を傾けないと、危うく9割方何を言ってくださっているのか聞き取れないのだ。
あたしはクリスタル山のことより、おじさんの方に神経を集中させる

おじさんの話によると、この建物はなんとか〜(聞き取れなかった・・・神社?場所の名前っぽかった)といって、
この岩は2億5千万年ほど前からもうすでにここにあるのだという。
凄い凄い遠い話だとおじさんはそれを眺めながら言った。
六角岩の写真を撮り終えた友が戻ってきたので、簡単に話を説明し終わった頃
おじさんが、行っておいで、建物が建っているから、とクリスタル山に私たちを向わせたので
「ありがとうございました」とお別れの言葉を言いかけたすぐ、「ここで待ってますよ」と笑っていた。


通称「クリスタル山」には、ちゃんと手を清める龍も在って、
鳥居も建てられていた。
その巨大な一枚岩は、本当にこんもり、大きな大きな岩で、そこに木々というか、コケというか、植物がちゃんと育って山のように見えるのだ。
今となって考えてみると、あの六角岩の親玉のように思えてくる

その岩の前にはきちんとした建物が建っていて、
うまく説明できないけど、お堂っぽい感じじゃないけど、綺麗な建物が建っていた。

凄く気がみなぎっている場所なのだと、パワースポットかね、と微笑んだおじさんの顔が浮かんでくる。

建物の横手に回って、岩をなるだけ間近で感じて、おじさんの待つ空き地に戻った。



空き地には焼き物の釜があり、今度の秋月祭?に釜に火入れをするのだという。


おじさんはまた穏やかに話しだした。
3月に起こった未曾有の大地震関連の事。
流行のように口にされる'癒し'や、エコなどに関連される環境の事などに例えて
今の世の人々の心の在り方の事を

押し付けるでもなく、説教などでは決してなく、
長くはなく、言葉少なく、穏やかに。


そしておもむろにおじさんは聞いた
「そのような(天河神社に来るような)お仕事をされているのですか?」と。


黙ってそれまで話を聞いていた友人がほぼ初めて口を開いて答えてくれる、あたしが今、ラジオでおしゃべりの仕事をしている事を。
どのくらいになるのか?と聞かれたので、
まだ〜・・・年・・・んー、まだまだこれからです、と答える私に
うん、いいキャリアですと、良い時間ですと、天河の事も是非ラジオで話してくださいね、とおじさんは微笑む。


次は、おじさんに聞いてみた、ここの出の方なのかと

おじさんは若い頃アフリカで15年ほど先住民の方々と共に生活しながら研究や勉強をし、
こっちに戻って気付いたら神社に入っていたんですよと笑って教えてくださった。



また必ずいらっしゃいねと、天河神社の前まで先導してくださり、
お礼を言っておじさんとは別れた。
後で気付いたのだが、こんなに気にかけてくださったのに、名前を伺わなかった事に・・・
でも、またきっと逢える気がする
これもまた縁ですね、と、あの不思議な感覚で話をして下さるような気がする。


帰って友人が調べたところ、あのクリスタル山の前にあった建物は「鎮魂殿」だそうだ。
だから、震災の事、人々の心の向き様の事などを、あんなに静かに話されたんだ。




おじさんと別れたあと、私たちは4つ目の石探しに出かけたが、
神社に向う最初に渡った赤い橋の真ん中から大きな川の上流を見たら
それはすぐに見つかった。
川はとても綺麗な水をざーざーと音を立てて流していく
橋から下を見るとその急流にザブンと落っこちてしまいそうだ

釣り人やバーベキューなどの若者を横目に
あたしたちは「鍾乳洞」へと車を走らせた。


この後がまた、がっくり、でも結構に楽しんだ話になるのだが、
続きはまた今度に。

天河神社 出会いの巻
 
車の荷物を片付けている友人を尻目に
神社の方とのお話は続いていく

そうですね、デザインはおそらくその時代のレトロな感じを模写ってるんだと・・・
ん〜、いい車だ、なんCC??
そうですね〜・・・
いぁ、山道きつかったですよ〜登らないから・・・
などという感じに。

煙草を燻らせながらそのおじさんは穏やかに、少し不思議な感覚でお話をされる
どこからいらっしゃった?
えー、大阪の・・・〜
おぉ、その辺りはいろいろあるでしょう、南朝北朝のころの〜
あぁ、そうですねぇ・・・〜

そう、あたしが今住んでいる街は、確かに歴史深いところだ、そういえば。
家の前の道をいけば、「歴史街道」と看板が立っている細道が沢山あったりする。
そして、南朝北朝時代に活躍したという有名な武将や、戦いの跡地や神社などが意外に近くにあったりすることをおじさんの話でおもいだしていた。
そう考えれば、吉野と案外繋がっていたりするのかもと思いながら。

じゃぁ、気をつけて、、、
というおじさんに挨拶をして車のドアを閉める

で、互いに口にする
「あ、石の事!!」

友人が車を飛び出しておじさんを呼び止める
「すいません!!あの石のことなんですが・・・」

3つ目の石の在り処を、神社の方らしくなれた感じで、でも、あの穏やかな不思議な感じで教えてくださった。


「ありがとうございます!!ちょっと行ってきますね」と、
あたしたちはおじさんに見送られながら境内へ引き返す。
といっても、表には回らず、裏へ。


でも、さっき、よく見たんだけどなぁ〜と首をかしげる友人。
あたしたちが裏に回ると何故か雨が少し強く振ってくる
さっき1人で回ったときもそうだった、傘もってくりゃよかったと友人、ブツクサいいながら
あたしたちは、おじさんの言う「役行者堂」の辺りを探し回る
見つからない
石は結界で守られてる・・・
あたしたちの頭には1つ目と2つ目の石が焼きついている
「榊の木を見て覗き込みなさい」
おじさんは確かに言った。

榊、榊

てか、榊、いっぱいありますけどー
と思いながら、探す、探す。

えーい、とスマホでもう一度情報を・・・

と、検索していると、なんと、4つ目の石の話が載ってるじゃないか!!
境内の看板には3つの石の話しか・・・あ、確かに、「境内'には’3つの・・・」ってあった・・・
書いてあった・・・
てか、うちら、まだ3つ目探せてないのにー、と
雨に降られながら、半ば諦めモードで表に向う階段を上がろうとしたとき


もしかして、あれって・・・と指差したそこに

石がおもむろにあった。
榊の木に守られるように、石はおもむろに座っていた。


「思い込み」というのは怖いものだ
あたしたちは「石は縄の結界に守られている」そう思いこんで、石そのものには全く気がついていなかったのだ。
その榊の木の前はもう何度も通っている
いろんなとこに飾られてる「榊の葉」は見えても
榊の木自体をちゃんと見てなかったのかもしれない。

「榊の木を覗き込みなさい」
そういう意味だったんだ
「覗き込む」はてっきり「上から下をみろ」ということだと思い込んでいた。

3つ目の石は、榊の木がお腹に守るように石に寄り添っていた。
石を守っていたのはロープの結界ではなく、榊の木そのものだった。



人間が見る情報というものは、脳が作り出すもの、という話を聞いたことがある
ポン、とおいたはずの物が、何処をどう探しても見つからない時がある
引き出しやかばんの中、ベットの下、ジーンズのポケット
棚やテーブル、何処を探しても見つからない
そういう時は「絶対に自分が置かないと思う場所」を探してみろ、という。
そうしてみると、何気にふと見つかるのだそうだ。
「此処にあるはず!!」そう思って探しているときは、「そこ以外にあるはずがない」と脳が思い込んでいるので、例え目の前に探し物があっても、「目に映らない」のだという。
目に映らない、というより、
「目に確かに映っているのに、思い込みにより、脳がそれを認識しない」=「目に映らない」
ということになるのだそうだ。

探し物は勿論だが、人や物事だってそうなんだ
怖い人、苦手な人というイメージを持ってしまうと、
たとえその人がどんなことをしようとそういう目でしか見る事ができない
目の前で起きている不可解なことだって、理不尽な事だって、それが常識なんだ・当たり前なんだ、と思っていると、その不可解さにも、、理不尽さにも気付く事ができない、目の前で起こってることなのに、見えない、見えてないのだ。


目に映ってるものが全てじゃない
見えることだけが本当に正解なわけじゃない
見えないから無いんじゃない

なんだか、それを改めて思い知らされた出来事だった。



かれこれ2,30分ほど探しただろうか
よかったねー、じゃー、次は4つ目だね、なんて話ながら車で天河神社を後にしたその時
ちょうどあの、神社のおじさん、が、白い正装のままご自身の車に乗り込もうとお家らしき処から出てきた。


「ありがとうございます!!みつかりました!石!!」
そう、窓を開けてお礼をしたとき、そのおじさんは言った

「せっかくここまでまでいらっしゃったんだから、クリスタル山を見ていきなさい!!」

クリスタル??山?
ハテナになったあたしたちに向って、おじさんは、自分の車の後を突いて来なさいと言った。


そして私たちはおじさんの後について「クリスタル山」に向うことになったのだ。


<< | 2/16P | >>