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プリンセストヨトミ??
 
一昨日夜の大阪城、


なんと、





"青く"ライトアップされているではないですか!!!!



普段は、普通に白ライトアップなんです。
見慣れているはずの夜の大阪城が・・・
すれちがう人々もこの異変に、カメラを向けたり、立ち止まって見上げたり・・・


映画化され今年ロードショーされた、万城目学氏原作の「プリンセストヨトミ」
あたしはこの原作が結構に好きだった。
若干、裏口からではあったが、映画化されることを知ったのは、もう何年もまえのことで、
ようやく撮影が始まった時も、ようやく上映が決まったときも、
もう、待ち遠しくて、楽しみで。

小説を読みながら、活字が映像に変換されていく自分の脳ミソ世界が面白くて、
その世界が、現実なのか、非・現実なのかすらの境界が危うくなるほどワクワクしたのは、
"大阪城の地下に隠された、スーパーコンピューター完備くらいの勢いの基地を持つ秘密組織”という、個人的に大好きネタがたまらなかったからだろう。

本当は“組織”自体は何だって好いのかもしれない。
“大阪城の地下に秘密基地がある”というくだりに、強烈に興味を持つものとして、
ただならぬ感情を湧き上がらせてくれた作品であったことは事実であり、
映画というフィールドでそれがどのように描かれているのかが楽しみでしかたなかった。

映画は映画である。
あくまで映画である。
脚本、というものがある以上、別物、として楽しむエンターテインメントである。
原作は、あくまで原作である。
そう、当たり前に解っていることなのだが・・・

こういう場合、脳みそ世界でおそらくすでに映像化してしまった事を恥じるべきものなのである。
あたしは解っていながら“それ”を今回行ってしまったが故、
“100%映画”として楽しむというエンターテインメントを自ら破壊してしまったのだ。

映画になった“プリンセス〜”には、残念ながら、
その下りが“無い”に等しかった。
脳みそ世界の〜スーパーコンピューター完備の秘密基地〜は、無かった。
しかし、映画がうんぬんかんぬん、という話ではないので、あしからず。



こういっておいて何だが、私は、
原作と脚本の違いにおいて生じる“食い違い残念事件”否定派、では、決して無い。

幼い頃から培ってきた“江戸川乱歩モノ食い違い事例”において、そのことは100も承知なのである。
あれはあれで、映像の世界、原作は原作で原作の世界、脳みそ世界は世界で脳みそ世界、なのだ。

すこし話は違うが、怪人20面相好きには賛否あったようらしい
金城武氏主演映画『K−20』の世界感はアリだった。
仲村トオル氏演じる明智探偵が居なくなってしまった後のことが若干気がかりではあったが、居なくなる前のいわゆる“怪人20面相”の影ありキャラは嫌いではなかった。
20面相が持つ“心の闇”の部分において、非常にわかりやすすぎるくらいの感じで物語化されていたからだ。


原作ありき脚本、の映画として、“暗”の部分を消し去ってしまったことによって、すごいスッキリしたエンターテインメント映画になったんだなぁ、と、印象的だったのが『陽気なギャングが地球を回す』だった。
ご存知、伊坂幸太郎氏原作の映画化作品、なのだが、原作での成瀬の私生活の部分がカットされ、ある意味恋愛テイストも程よく参入されている、という具合が、「恋愛モノ若干苦手です私」でもグングン楽しめるファンタジーコメディー映画になっていて、あれはあれで物語としてスッキリしていて程よい長さにも共感だった。
あのエンターテインメントとしての映像的コメディー具合がなかなか納得されないことは、ほんと、もったいないなぁ、と思ったりする。


映画だって音楽だって、長けりゃ良いってもんじゃない。
しかし、難しいのは、もともと存在するお話だったりすると、
それをいかにコンパクトにして、さらに損なわずにその面白さを伝えることが出来るか、なのだが、
お話のどの部分をピックアップしてチョイスするか、というのは、
もうこればかりは、千差万別だったりするから困ったものである。
想い入れが深い場合、それは時に致命傷になってしまったりする。
しかし、またそれですら、誰が悪い、といわれるものではないのだ。

自分の感覚や、上で言うところの“脳みそ世界”が正しいという判断は、あたしにはしかねる。
ただ、大なり小なり、それにおいての同じ感覚の持ち主がいて、負の共感や正の共感をしあう時がある。ただ、それだけのことなのではないか、などと、思うのである。



ただただ、あの日あたしが見た大阪城は青かった。
プリンセストヨトミでの大阪城は赤かった。
大阪城にその日何があったのかは分からないが、
青い大阪城を見たとき、あたしは“プリンセストヨトミ”を思い出し、大阪城に向かって走っていた。
頭に浮かんでいたのは、活字の世界であり、また、映像の世界でもあった。


だから、
楽しいんだなぁ、と
ふと、思うのである。

野田ともうします。
 
クラプトンのギターが聴きたくてクリームのCDを探したがみつからず、
村八分のCDをIN。「水たまり」のギターはやっぱかっこいい。

日曜の夜はFM大阪85.1MHzにてラジオ『ミナミJAZZウォーク』聴いてくださったかな?毎週日曜22時から放送中でございまして、よろしくです。


さて、本題です。


昨夜からNHKのEテレで『野田ともうします。シーズン2』が始まった。
柘植文原作の漫画を、毎度5分のショートストーリーで‘そのまま'実写化したドラマだ。

もともと、ワンセグ放送スタートに伴い、素材をオーディションする、みたいな番組で、
視聴者投票1位になったものがレギュラー化してスタートしたのが、昨年秋。
ということで、シーズン1もNHK ワンセグ2にて
2010年10月29日(なんか、びみょーに改編からは遅いスタートだけど)から
2011年4月8日(もちろん、改編びみょーに過ぎて終わってるけど)の全20話
んー、無駄に半年かかってるとこがまたたまらなくいい感じだ。

この9月にEテレで深夜に毎夜2話ずつ再放送したということもあり、シーズン1が記憶に新しい方も多くいらっしゃると思うのだが・・・多いのかな?


あたしが、この「野田ともうします。」に出会ったのは、皆さんよりもきっと少し遅く、
シーズン1の放送期間中の昨年?もう、いつごろの話だったかなんてさらさら覚えてないが、夜中、というか、深夜だな、
ぼーっとTVをつけていると何気に放送されているのを見てしまってからだった。
当時の教育か総合かすらも忘れたが、それは、良くも悪くも、終われど終われど始まる恐怖の'野田〜'のワールド放送だった。
簡単に言えば、「サラリーマンNeo」でもよくある手法で、それまで放送された「野田ともうします。」の10話分位の一挙連続放送だったのだが、
当時、そんなドラマが放送されていることすら知らなかったあたしは、
それがまったく何かわからず、5分エンディングを迎えると、又すぐオープニングが始まる「野田ワールド」に釘づけになった。

中でもお気に入りは、「野田さんの大学の友人たち、野田さんのせいで深夜ラジオにはまってみる」(こんなタイトルでは無いが・・・)の回だ。

もー、次の日くらいに、現場でのあたしの必死様は言うまでもない。
会う人、会う人に「野田〜観た?、ねー、観た??」と袖を引っ張りまくり、
野田〜へあたしのはまりっプリをアピールし続けた。


それから早、何ヶ月。
野田〜は帰ってきた。
周りにアピールすることの目的の1つは、勿論‘共有’の楽しさ、なのだが、
あたしの場合、裏目的として大事な役割を果たしているのは‘うっかり解消法’としての役割である。
あたしは忘れっぽい。そして、非マメ人である。
なので、それはもう、日々'うっかり’が服を着て歩いているようなもんで、
その'うっかり’っぷりは時として我人格さえも危ぶまれること必至である。

そのような時に我救世主として降臨してくださる我神々こそ、種を蒔いた知人たちだ、ということだ。
'好き'をアピールするほど、その'好き'の情報は集まってくる。
「今度どこそこでLIVEあるよね」
「いついつ映画公開始まるね」
「だれそれ、レコーディング始めたようだ」
「来年公開のあれあれのキャストが決まって撮影にはいったようだ」
「どこどこ劇場での芝居チケット発売決まったよ」etc.etc.....

そして、その話が盛り上がるほど、寸前の情報がまた耳にやってくる
そう、「あした・・・」情報である。
明日LIVEだ、明日公開だ、明日リリースだ、、、と。


そして、「野田ともうします。シーズン2」の最新情報も、昨日私の元にやってきた。
「今夜から、野田2はじまるよねー」!!という具合に。

マジすか!と、「今日の深夜にまた野田はじめるべー」などと
微妙に深夜でもないのに、適当なことを言いながら周りに種を蒔く。
すると、まわりのちゃんとした皆は、「深夜じゃないじゃん」などとちゃんと調べて観てくれる、という具合になるわけだ。

みんな偉いね。ありがたや、ありがたや。


話を「野田ともうします。」に戻すけど、
主人公の「野田さん」を演じているのは、江口のりこさん。
舞台や映画、ドラマと、活躍している女優さん。
若手の俳優さんの中で、とてつもなく光り輝いている俳優さんを男女挙げてください、と言われれば、間違いなく、男子・濱田岳氏、女子・江口のりこ氏のあたしにとって、
フィッシュストーリーはたまらない映画であったことは言うまでもない。

というか、映画「フィッシュストーリー」は、なんといったらいいのか、
『大好物すぎるメインディッシュ勢ぞろい映画』なので
もう、どうしていいのかわからないのである。
原作は伊坂幸太郎氏だし、
上記俳優さんWで出演だし、
おまけに、渋川清彦氏も出てるし、
音楽はせっちゃんこと斉藤和義氏だし。
ま、そーなってくると、「ゴールデンスランバー」もそうだけど。
伊坂&濱田&渋川&斉藤(敬称略)そして、
あたしのタイプ未だNo.1(誰も興味ないね、あたしのそんなの)の吉岡秀隆氏ときたもんだ。

あー、あと、
猫好きにはいい感じの映画「私は猫ストーカー」も江口さんがいい感じに出てて、
あ、これは、オーディオコメンタリーがめっちゃ微妙でいい感じなのでお勧めだ。
あ、これは書くとこれ以上長くなるので、また別の機会にしよう。
ひとつ、書くとすると、この映画には、サザエさんの母・フネさんでお馴染みの麻生美代子さんが出演されている。


話が飛びまくって申し訳ない。
「野田ともうします。シーズン2」Eテレにて、土曜22時45分から
(関西地区では…全国一緒かは知らない)放送中です。
微妙に制作費が上がったのか(笑)シーズン1よりいろんな意味で豪華になってるぽくて不安ですが、全20話見逃さないように楽しみたいとおもいます。

トマトと花と 〜映画 『花』〜
 
たまには真面目にストーリーをご紹介しよう。
素で書けてしまうくらい何度も観た映画だから。

大沢たかお氏演じる主人公の野崎陽一郎は、脳に出来た動脈瘤により、死か・生きてきた記憶を失うかの選択を迫られる。
未来に絶望し、会社も辞め、迷う陽一郎の下にふと舞い込んできた1週間限定のバイトは、「東京から鹿児島まで、高速を使わずに依頼者を乗せて車で移動する」というもの。
依頼者は、柄本明氏演じる弁護士・鳥越。
一見、接点の無いこの2人を乗せた車は、一路、鹿児島目指して国道1号線を走り始める・・・

まぁ、スタートはこんな感じかな。


脇を固める役者さんたちもとても贅沢で、
若き日の鳥越を加瀬亮さん、妻を演じるのが牧瀬里穂さん。

この牧瀬さん演じる恵子さんが、可愛いのなんのって。
この人の笑顔がスクリーンいっぱいに映し出されると、それだけでもうこっちまで笑顔になってしまって
無邪気な笑顔ってのは、こういうものって、辞書に載せたいくらいだったわ。
でも、その分、彼女の悲しい顔は、例え言葉が無くても、こっちの心が曇ってしまうくらい切ないの。

そのほか、陽一郎の彼女に西田尚美さん、
遠藤憲一さん、仲村トオルさん、樋口可南子さん、椎名桔平さん、そして、藤村志保さん、他々・・・


この後は、是非DVDでも観てもらいたいんだけど
まぁ、内容ちょっと分かっても良いよって人はどうぞ続きを。



なんで国道のみを使って鹿児島までてのは、
鳥越は、もう何十年も前に別れた妻の顔が思い出せずにいて、
彼女と行った新婚旅行の思い出の道を辿って記憶を呼び起こしていくその旅。
亡くなってしまった彼女の最期の地・鹿児島に、残された遺品と、彼女との時間を、そして、過去を取り戻しに。

鳥越の話にリンクして彼の記憶が映像となってスクリーンに映し出される。
それは、話を聞いている陽一郎が描く映像なのか
鳥越の中に呼び起こされる過去のシーンなのか
観ているこちらと同じだけの距離感で正三角形に時間が流れていく。


でもね、ほんとに記憶って不思議なもんで、ひょんなことから、
もうすっかり忘れ去ってしまっていた小さな、とっても些細なことが鮮明に蘇ってくるよね、突然に。
匂いだったり、音楽だったり、風景だったり、味だったり
そんなきっかけが時空をひょんと超えさせてくれる


陽一郎が言うのよ、鳥越に
「たとえ生き伸びても、生きてきた記憶が無くなるなら、そんなの自分じゃなくなるって事ですよね」って。
そうして生きても意味無いなって、なら死んじゃってもいいかなって思ってたけど・・・
でも、死ぬの怖い、死にたくないって。

始めは心閉ざしあってた2人が、互いに自分と向き合った瞬間に口にした本音が
静かに流れる国道を照らす灯りや夜空、街の風景にクロスして痛いほど伝わってくる。
そして互いを受け入れていく。自分自身を受け入れていく。
触れ合う街の人々、その土地の雨。男2人の無邪気な笑顔。

んー、いい役者、すごい役者だなぁと思う。

置き去りにした記憶を繋いで自分の人生を取り戻そうとする男と
記憶が消えてしまうかもという恐怖に向き合って人生を繋げようとする男の
本当に静かな静かなロードムービーだ

好きな映画だったのに
なんでこんなに記憶の奥に引っ込めちゃってたんだろう

2人の「なんで忘れちゃうかなぁ」「どうして想い出せないんでしょうね」というやり取りが好きだった。



陽一郎のアパートの冷蔵庫にあったトマト
若き日の恵子と鳥越がもぎ取って食べたトマト
記憶の旅の途中で鳥越と陽一郎が食べるトマト

ずっと不思議に思ってた
なんでトマトなんだろうと

でもいいや
こうしてまた、あたしの記憶も、あの日の空気も、鮮明に思い出すことが出来た。
素敵な映画と共に。




鳥越が言う
「本当に大切と思う人の手は絶対に離しちゃ駄目だ」と。

そういえば、

この映画の中の少ない外のシーンに神社が1つ出てくる
「南方神社」
さっきの台詞、映画「Life 天国で君に逢えたら」で聞いたなぁ
夏樹の台詞「絶対にこの手離さない」って。

なんか、すごい挽きの強い役者・大沢たかお
さすが、違いの分かる男・大沢たかお。


考えてみれば、なんか全部繋がってるんだよね、大沢さんの作品って。

観たいと思う映画に居るんだよなぁ、いつも。
いや、違う、いや、違わないけど。
観てる邦画といったほうがいいのかな・・・
気がつけば、そこに
いらっしゃるのです、はい。

心に届く演技をされる役者さんです。


最後に、そういえば、気になってた事がもう1つ。

茶柱たつおさんって俳優さん。
よくエンドロール目にするのですよ
たつおさん。

トマトと花と 〜記憶〜
 
ある日の午後
冷蔵庫を開けると、そこにあるのは、ごろんとトマトが2個
あとは調味料の瓶に缶ビール数本。

なーんも無いじゃん、大丈夫か、うちの冷蔵庫
てか、おなか、空いたんですけど・・・トマトを徐に掴んで少し考える。

切るまでもないし、お腹すいたし。
しゃがみこんだまま、フキフキしたトマトにかぶりついた。

トマトをかじりながらしばし考える。
そういえば、どっかで見た景色だ
どっかっで、、、どこかで、、、


あ、「花」だ

映画『花』


2003年公開の映画「花」
原作は金城一紀氏、監督は西谷真一氏
主演の大沢たかおさんと柄本明さんが、2人の独特の空気間で彩るロードムービーだ。


ロードムービーというジャンルが昔から好き
ブルース・ブラザーズ、おかしなおかしなおかしな世界、ペーパームーン・・・
ザ・メキシカン、赤ちゃん泥棒、んーこれはコーエン兄弟が好き。中でも特に「ビック・リボウスキ」がお気に入りだ。
これをきっかけに「大いなる眠り」他レイモンド・チャンドラーを読み漁ったのに、「三つ数えろ」はまだ観てない。
あと、キャノンボール。
これは見すぎて、小学生の時は吹き替えの台詞をビデオに合わせて言えたくらい。

車が好きで、3,4歳くらいの頃にはすでにもう、運転席と助手席の間に座って
父の運転するミッションを握って、父の踏むクラッチにあわせてサドルを動かしていた。
おかげで、いまだに運転する全てのタイミングが父と一緒だと、母に言われる。
ブレーキも、アクセルも。

ナイトライダーが日曜洋画劇場ではじまると、かじりつくようにいつも見てて
おかげで「ナイトライダー」は映画だと思っていた。
TVシリーズだったんだと気付いたのは本当につい最近の話だ。



『花』の公開当時、病み上がりだった知り合いが久しぶりにやってきて、
私の運転する車で郊外を走っていたとき、立ち寄った映画館でふと観た映画。
その知り合いは牧瀬里穂さんの昔からファンで、引っ張られるように劇場に入っていったのを覚えている。


パラレルワールド 結果編
 
頭の整理整頓も終わったところで

結論にいたり、結果をまとめたいと思う。



あくまでここも、あたしの仮説の話ということを前提においていただきたいのだが、
パラレルワールドは、それぞれの存在に少しずつ影響を及ぼしているのではないのか、ということだ。

上から順に何かが始まっていく、とすると、
人生においてその人がやるべき事、が1つ目の並行線で決定される。
そして、その目的を全て達成するまでの間、何本もの並行線を繰り返さなくてはならない。

その「ある目的」というものは、自身が望んだ「夢」や「希望」ではなく、
いわゆる「定め」といわれる、1人1人に与えられた「役割」のようなものなのではないか・・・ということだ。
本人の意識や意思とは別のその「与えられた何がしかの役割」は、
その人それぞれで、その中には、結果として、歴史を作り出すほどの大事!であったり、
つい見逃してしまいがちな、他の誰かにとったら、日常の些細な小さなこと、であるのかも知れない「隣のポチを生涯見届けること」のような。

よく言う「定められた人生」なんて話をするが、
「本来、なすべきことをなす人生」がなすべきようになされるまで増え続ける並行線こそがパラレルワールドとするならば、輪廻転生の本来の考えと繋がってくるように感じられる。



現在において、輪廻転生は、その人個人により良い人生がやってくることを願い繰り返される、とうい感じだが、本来は、「全てよし」となるまで「人の道」なる「苦」の中を繰り返し歩んでおきなさい!みたいな事だったように記憶する。
輪廻・転生、あたしは悟りを開いたわけではないので、細かいことを言い出せばきりが無いので、詳しく知りたい方はそれぞれ調べていただくこととして、

原作の中で、現代の残った仁先生に、頭の中の移植された思い出がフラッシュバックし、自分はこの現代で何をすべきなのか・・・考えたその時、頭の中の龍馬ちゃんが「やるべきことは江戸でもうやってきたから、もうよろしい!」的なことを言ったことがあった。
漫画を読んでるときはあまり気にらならなかった台詞だったのだが、後にドラマの最後を観ていてふとあの龍馬ちゃんの言葉を思い出した。
そして、今回、長々書いた「仮説」が頭に浮かんできたのだ。

南方仁という人の定めは、江戸末期の(後に歴史となる)混乱を、坂本龍馬という人間を導くことによって完成させなさい!という事だったのではないか、と。



本家本元の坂本龍馬という人も、調べれば調べるほど不思議な人だ。
彼の姿自体、本当にそのことだけをするために生まれてきたようにすら思う。
そして、勝海舟しかり、大久保一翁しかり、書ききれないが、坂本龍馬の周りには、影となり日向となり、彼を動かし続ける知恵が集まってくるように思う。
その知恵を形に変える「製造工場」こそ坂本龍馬、「幕末製造坂本工場」みたいな感じである。




話を「JIN−仁」のあたし流・仮説パラレルワールドのことに戻すが、
南方仁は「坂本龍馬を通して幕末の流れを作り、江戸で未来の医療の基礎を作りだす事」
それこそが彼に課せられた定め、すなわち、タイムスリップの目的、だったのではないか?と。
ドラマでは最後近くまで結局なんで江戸に来たのかわかんない、と半べそかきまくり、
最後、ドラマ内での定めとした「仁先生の知ってる未来さんの手術をちゃんとやり直す」という目的は果たせた故、あの並行線上での役割は完了したのだが、New仁先生はまたタイムスリップしてしまった。

そして、仮説における次の並行線上へとなっていき、そして原作へ・・・






しかし、考えれば考えるほど「苦」な出来事ではないかと思う
もし、そんなパラレルワールドが自分たちの中に本当にあると思うと。
しかも、それが完成して喜びつかの間、繰り返されることは無いのだから。
日々自身をも修正していき続けることこそ
まぁ、それこそ、人生、なのかも知れないが。


でも、ふと思う。

「if」の法則の事を。

もし、の世界に広がる景色は、いつもやけに懐かしいことを。


この世界には自分と瓜二つの人間が何人か存在すると。
なぜ人は「夢」や「憧れ」を抱き、それに向かって賢明に歩むのかと。
眠りについたとき、自分では行ったこと無いはずの場所や出会った人が妙にリアルな夢を見たり、正夢なるものが存在したりすることを。



こうは考えられないだろうか・・・

夜眠りにつき、夢を見る。
その夢こそがパラレルワールドの不安定な歪みの入り口だとして
人は気付かぬうちにその並行線上にある「ほんのちょっと違う歴史世界」を
行ったり来たりしている・・・
のではないかと・・・
わたしが居るここは、本当にはじめからここだろうか・・・




まぁ、笑
こんなことを考えさせてくれる素敵な作品に
これからももっともっと出会えていけたらと思う。

「バタフライ・エフェクト」や「キューブ」なんかの映画が
また観たくなった。


そんなこんなで、
結構においてこんな感じに
くだらないことを頭に溜め込んでいるので
出来る限り文字に興していくのも楽しいもんだなぁと笑

また気が向いたらお付き合いくださいな。

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