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舞台:BURN CRASH RADIO@芸術創造館12.2.2


2月2日(木)に大阪旭区にある「芸術創造館」にて行われた
講談師の旭堂南陽さんも出演した舞台「BURN CRASH RADIO」に行ってきました!!


実のところ、俳優では無い方々などが主で行われる演劇というものに
ちょいと抵抗があって、
南陽さんは講談師だし、正直どうなんだろう、、、と勝手に不安だったのですが・・・


いやぁ、楽しい舞台でございました!!


出演されたのは、

講談師:旭堂南陽さん
俳優:himeさん
ダンサー:Ikeda kaoruさん
ミュージシャン:MAMU(貴瀬修)さん
太神楽:豊来家玉之助さん


舞台で演劇なんだけど、
それぞれの配役そのものが、それぞれの方々の本職そのままに演じられる脚本になっていて、
俳優のhimeさんが、ストーリーテラー兼リスナーの女性を演じていらっしゃると、
南陽氏はラジオの中で講談の修羅場読み
その修羅場読みで語られる‘ロミオとジュリエット’や'筋肉マンの話’などなどが、
貴瀬さんの奏でるブズーキなどの民族楽器の音色をBGMに
ダンサーのIkedaさんの踊りや玉之助氏の獅子舞などで表現される。

ひとつの舞台上に浮かぶ3つの異なる空間が、見事に、
貴瀬さんの奏でる生の音楽によって結ばれてゆく
まさに、点が線で結ばれる感じの立体感が生まれていて
良いステージだった。

演出・細川博司さん、脚本・二朗松田さんの勝利だなぁと納得。
あたしが不安を抱くだなんて百年早いのだ。

演者それぞれの持つ技術を最大限生かし、無駄なく融合されて魅せられる物語
あっという間の1時間半だった。



何よりあたしを虜にしたのは、生まれてはじめて‘生'を目にした獅子舞。
そりゃ、TVで見たり、お笑いの「ちゃ〜」の人(焼肉屋さんで財を成した人)ので見たりはしたことはあったが、
本物の太神楽ははじめてだったのだ!!


玉之助さんが操る獅子舞は、ほんとにとっても表情が豊かで
笑ったり、興奮したり、切なかったり、舞うたびに感情が獅子舞の顔から溢れてきて
獅子舞自体が感情を持って生きているようにしなやかで…感動。
ロミオを獅子舞で演じきり、ステージ中央で役目を終え、もう動かなくなってしまった獅子舞ロミオを見た瞬間、わくわくしすぎて、まだ物語の途中なのに、空気を読んで踏みとどまったが、危うく大拍手を喝采しそうになったぐらいだ。
あんなに生き生きと鼓動を打ってた獅子舞がその瞬間、ピタッと‘物'に戻ってしまうなんて・・・
まるで、大きく膨らんだ風船の結び目がほどけて、シュルシュルと空気を失ってただのゴムに戻ってしまった時のようなせつなさ。

そして、日本の伝統芸能・太神楽や講談と、まるで違和感無く融合する貴瀬さんの奏でる異国の音色。
伝統と伝統というものには国境なんて全く存在しないのだなぁと実感させられた時間だった。



ステージが終わって、ご挨拶!!


太神楽の玉之助さんと獅子舞ちゃん
この獅子舞ちゃんは「いやぁ〜どーも、獅子舞です!」
って表情してるでしょ!!
なのに・・・
 

あたしが鼻に手を突っ込んでみると・・・
「おいおい、おめーなにしてんだよ」って
あたしの指を見ているような顔しちゃうのね!!



アイリッシュブズーキー、凄く格好良かった
ミュージシャンの貴瀬さん!!
以前に仕事でお世話になったぶりの久しぶりの再会!!

Autumn of appetite
 
うーん、もしくは、FORで、

Autumn for appetite

「食欲の秋」・・・どすなぁ。



ということで、
お世話になっている某先生が岐阜のご友人からたくさん頂いたという、柿!!
スタジオで食べきれず、1個頂いちゃいました。



とっても大きい柿なのですが、
なにせ、あたしの手が大きいので
そんなに柿の大きさが強調されない。。。

ちゅうことで、
カットしました。




駅の近くに餃子専門店ができ、
どこかにある美味しいと評判のお店の初支店ということで、
できて何ヶ月にもかかわらず、早くも雑誌やTVで紹介されておりまして、、、

せっかくなので、どんなんかなぁとお持ち帰りしてみました。



8個入りで、箱代込み320円だったかな
写真は2人前す。
もちろん一人でぺロリです。

1つ1つとても小ぶりで、
いわゆる大きさなら「点天系」好きの方向けどすなぁ。
てっさの勢いごとく、一列一箸でいってしまう系どす。
皮が薄く、焼きはきれいに入ってはいるが、
どちらかといえば、蒸しのモチモチ感の方が強調されています。
お酒の肴につまみながらチビチビいくにはいいかなぁ

好き嫌いだと思うけど、
あたしはいわゆる「おかず系」の皮ゴボ系のヤキヤキが好きなので・・・
あえて、お店の名は・・・



あと、お持ち帰りで嬉しかったのは、
ニューミュンヘンのソーセージ!!



これもめちゃ大きいくて、テンション上がりあがりパクつきました!!
たぶん、15センチくらいあったと思うよぉ
おなか一杯だったもん!!


ちなみに、このソーセージを買ったのは、
先月、梅田にある阪神百貨店の催場でのイベントの時
買って帰っちゃいました!


2日目の本番では、なんと、
阪神百貨店の70年代に本当に使用されていた貴重な制服を着させていただきまして・・・



レトロで可愛い〜!!制服っしょ!!



マクベス

 


白い大阪城。
このVer.がいわゆる普段のライトアップで見ることのできる大阪城である。
ちなみに、23時になると消灯なので、その後数分の大阪城は、中の光が窓からこぼれ、
天守閣の最上階下の辺りから、目鼻口に映るそれは、鎧を纏った、まるで少し太っちょの落ち武者の顔みたいに見えて可愛く、結構好きだったりする。


この夏の出来事、9月4日
大阪城西の丸庭園で行われた「一期一会 マクベス」
構成・主演(語り手)大沢たかお氏の朗読劇を観に行くことができた。

言葉や声で何かを表現したりする“話し手”の端くれ(とてつもなく隅っこだが)の一人として、「朗読」というものにはやはりアンテナが立つのだが、
朗読そのものを考えた時、いわゆる“上手”なものをされる話し手の方は沢山いらっしゃる。

吉永小百合さんに代表される、いわゆる役者さんによるものも、また然り、であるが、
かなり以前に聞きに行った吉永さんの朗読では、目を閉じて聞いていると、なんともまぁ不思議な気分になったのをよく覚えている。

言い方はちょっと違うのだが、まるでイタコさんの言葉を聞くとこういう感覚になるんだろなぁ、という感じが一番伝わりやすいのかなぁ、
まぁ、イタコさんに話を聞いたことが無いので微妙だが。

解りにくく言ってみると、平面状にある字の羅列が飲み込まれて、音として出てきたとき、そこに物凄い“生きているもの”を感じる。
まさに、「役に魂を入れ、動く“人”として表現する人=俳優」という職業を見させてもらったなぁという感じだろうか、
あぁ、これが役者と呼ばれる人なんだなぁと。
その人の言葉では決して無いが、そこにある人々の想いがちゃんと伝わってくるのだから、これは凄いことだとあたしは思う。


何かを伝えたい、ということは、全身全霊でそこに向かってこそ生まれるものだと思うし、
誰か一人を説得することだって、ほんと、そうだし、
ましてや、考え方も生き方も物の見方もまったくそれぞれのいわゆる大衆に向かって発しようと思えば、それ相当のエネルギーを持って挑まなければ、米粒、いや、宇宙に浮かぶチリ1つ分の感情だって動かされないだろう。

では、私がそれをもっと具体化してみせる術を掴むきっかけを見出せる場として
どうしても観ておきたかったのが、大沢氏の朗読劇だった。
あー、長かった、説明、長かった。

この舞台を観るに至るまでに2年にもわたって紆余曲折があったことは、もう後にするとして、朗読劇・マクベスを本当に観にいって良かったぁと心から思ったりする。


もちろん一人芝居でもないし、いわゆる朗読という枠も超えまくっているし、
三味線奏者の吉田兄弟率いる音楽隊が生で彩っていても、ダンサーの方々が舞踏で演じていることもまたミュージカルでもない、
ステージ上もセットと言うべきものは、背後に浮かび上がる大阪城とそこにある木々ぐらいで、あとは数点の小道具と夜空と風と台風下に流れる雲ぐらいなもんだ。

それは、まさに、究極の“引き算の数式で成り立った最も美しい数字”と呼べるほど贅沢な空間であった。

プラスの組み立てで物事を“盛っていく”事は物理的にやろうと思えばいくらだって盛り続けていける。
超豪華なセットも舞台も人々も、それは出せば出すほど解りやすい華やかさを増すだろう。
しかし、何よりも勝る究極の贅沢は“イマジネーションの組み立て”だと思う。
そして、そのイマジネーションは、そこに同席し、想像を発想した人々と同数だけ生まれ続けるのだ。なんとまぁ贅沢どころか、贅沢三昧である。
イマジネーション(想像)の骨格はおそらくエッフェル塔を勝る美しさなのではないかとすら思う。

ジョン・レノンの名曲「イマジン」における“想像してごらん”を、もし人々が損得や勘定無しでイマジネーションの具体化に成功したならば、地球という世界は本当の意味で自然なものに帰れるのだろうなと考えたことがある。
そういう意味で捉えるならば、音楽は世界を救える力、いや、きっかけを持っているといえるのだろうと。
もしこの世から、文明にとっての“利益”というもの全てが喪失されたとしたならば、
何も無くなった荒野の残骸の痕で、前進するために人間が最初に創造する豊かなものは、イマジネーションなのではないか、と。


話が世界規模でえらく旅をしてしまったが、
イマジネーションの入り口に立つ門番として、大沢たかお氏という役者は、実に違和感を覚えさせないマジシャンみたいな方だなぁと思ったりする。

今思えば、あの日、そのマジシャンぷりをこの眼で目視したかったのかもしれない。
大沢氏の役者の“動”としての息遣いを目の当たりにすることで、
私の一歩踏み出す足場の小さな石を見つけるきっかけを探しに行ったのかもしれない。


To-morrow,and to-morrow,and to-morrow
Creeps in this petty pace from day to day,
To the last syllable of recorded time
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death.
Out, out,brief candle
Life's but a walking shadow;a poor player,
That struts and frets his hour upon the stage,
And then is heard no more:it is a tale
Told by an idiot,full of sound and fury,
Signifying nothing.

マクベスの終わりを告げる自身の言葉を想う日を
あの言葉で、あの声で、その何かを見たかったのかもしれない。
小さな石をあたしが見つけられたのかはまだわからないが、
とっても心に残る舞台だった。



さて、余談だが、
実は、もともと行く予定にしていたのは、この前日3日ぶんのものだった。
さらに実は、3日のを予定した後、ひょんなことから4日の公演に行かないか?と誘っていただいた。
2日間どうしようかなぁと考えはしたが、せっかくの機会だし、2日間行ってもいいかぁと誘いに乗ったのだが、
蓋を開けてみると、3日は残念ながら、台風の影響で公演が中止になってしまった。
あー、怖い怖い・・・よかったぁ、誘ってくださって!である。
行ってみると、その席は、真正面ではなかったが前から4列目でびっくり。
おまけに扇状に配列された客席具合で、そのブロック一番端だった私の席は、前列から通り道に一人はみ出てるようになっていて、前に誰もいない状態で見通しがよく、目の前の吉田兄弟の兄さんか弟さんの手さばきをとっても堪能することができ楽しかった。
だって、なかなかあんな近くで三味線の演奏見る機会ないんだもん。
して、
さらに、
第2幕での大沢氏登場時、客席後方から登場されたのだが、通り道になった通路があたしの横の通路でびっくり。
しゅるしゅるやってきて、振り返りながらあっけに取られていると、私の左肩の直ぐのところでピタッと停まり、大きく一呼吸。
般若の仮面を手で押さえながら、その下で、あと一度、さらにステージに上がる自らへの追い込みの息使いを聞くことができたことに、私の呼吸まで一瞬凍りついた感じがし、
その集中の空気感たるや、吸い込まれそうになるほどの気迫でございました。
ONE PIECEで言うところの「覇気」ですな。それも、「覇王色の覇気」ですぞ、あれは。
獲物を射程距離にロックオンしたチーターの走り出す瞬間のまなざしを、ステージに向かう背中に見たように思えること、なかなか無いでしょう、はい・・・
仮にスタッフとかで舞台袖とかでも、そこまでの感じであれを体感できたらめっちゃラッキーなのに、
ただのお客さんとして座ってただけで間近に感じられて、本当に感謝の瞬間でした。
第一線、中央で戦っている人の覇気は、本当にすごいです。
1mmでも近づけるように、進んでいかなくては、と思い知らされた9月の夜でございました。


いろいろと…
 
えー、
「ここに書かれたものを遡りたい時に解りづらいのですがどうしたらよいですか?」と、聞かれまして、ちょっと考えていたのですが、
『CATEGORY』とやらを増やしてみました。

若干アバウトですが、ご了承あれ。
そして、過去のも分けてみたのですが、
過去すぎて自分でも何書いたのかタイトルから思い出せないものは、未移動です。
併せてご了承あれ。

というか、前にも、タイトルと話が違いすぎて遡れない、とご意見いただき、
自分でも何処に何書いたかまったく分からないので、
近頃はちゃんとリンクするようにしてみたのです!!

あらためて、そのカテゴリーとやらを自分で見てみると、「MUSIC・・・1」はないよな。
てか、日常に音楽あるもんだから、いちいち別けてると、どう別けてよいのかがわかんないのだが、、、
自分で作っといてなんだけど、なんでわけてんだろう?なんか、意図があったんだろうなぁ、当時のあたしは。
以後、カテゴリーにもちゃんと目を向けてゆきます!はい。


ついでなんで、方々で聞かれすぎるので、だんだん返答がいい加減になってしまいました質問についても一言。
この夏のころ、えらいバッサリ髪を切りましたが、
特に何かあったわけでは全くありませーん。
「どうしたの?」「なんかあった?」と山ほど聞かれ続けているので、そろそろ…

単に、あまりにも傷みすぎていて、ブラッシングすらままならない状態だったので切っただけなのになぁ、と。
一番びっくりしたのが、女性陣は「どーした?」で男性陣は「フラれた?」って聞き方が一番多いことでした。
個人的に、フラれて髪切るいい年した女性なんて、あんま、いないと思うんだけど。
男性って、そう思うといつまでもピュアなんだねぇ…

ま、確かに仕事に関係ないなら気分転換に髪切る事はあると思うけど。



あ、そうそう、ぜんぜん関係ないんだけど、
来年春ころの花粉は今年の7割減くらいになるらしいんだって。
でさぁ、どーでもいいんだけど、
あたし「今」のこと、今日の事知りたいんだけど・・・
明日の花粉のこと。
この1週間ほどかなぁ、はじめてこんなキツい、
こんな目も開けられないくらいの、
クシュクシュ・クシャクシャきっと花粉症、に、
ほんと、どうしていいかわかんないのですが。

同士のみなさん、ご自愛あれ・・・

天川から洞川へ 旅の終わりに、の巻
 
あの、引き帰えした時ぶり以来に、あたし達は立ち止まった。

右に下りながら伸びるのは、おそらく今まで来た道の続きっぽいなんとなく舗装された過去を持つ道
左にあからさまに登りながら伸びるのは、「これ、道か?」くらいの所謂、けもの道。

そこで、ふと、ある疑問が湧いてくる。

『つりがね橋900m 龍泉寺1,2km』

つり橋の方が距離が短い、先に書かれている、とういうだけの理由で
てっきり、「つり橋の先にお寺がある」とそう思い込んでいたのでは、、、
並んで書いてあるとはいえ、同方向にある、と決まったわけでは無いのではないか、と。

今まで来た道は明らかに下りつつある。

予感はある。

お寺は山のふもと、つり橋は山上。
その分かれ道ではないか、と。


道無きのような山道を、もうかれこれ20分は歩いただろうか
登りつめてきたので、時間ほど距離は進んでないだろう
とにかく、今はどちらかを選ぶ以上道は無い。
もしや、橋すら川に架かっている「つり橋」なのではないか?という疑問すら浮かんでくる。
ならば、何のためにこの山道を登ってきたのだろう
下るためにのみ、あたし達は登ってきたのか・・・

相変わらず木々は風に揺れざわめき、雨音は少し音を増す
不思議に雨に降られる事はほぼなかった
葉っぱ達が雨を受けてくれているのだろう

雲に覆われた日差しもそろそろ限界だろう
今からけもの道を登る事はあまりにリスキーだった。

「ここは、自分たちが通ってきた道の続きであろう方を行こう!」

そう決めたあたしたちの足取りは軽かった。


途中、逆方向に矢印入りで「もう少し!鍾乳洞まであと15分」という看板があった
15分??ま、そっちからなら、今から下りだからねーと話しながら進んでいくと、
また同じ、15分、の看板があった。
ま、だいたいかっ、と笑えてくる。


山道は急激にどんどん下っていく
道も少しずつ舗装された感が戻ってくる
途中、何十メートルもあったであろう、長い長い大木が、おそらく自然に倒れて斜面に横たわっていたりする
山々はこうして新しく息吹を繰り返してきたのであろう
人がこうした山々を壊してきたのだから、新しい木を植え、間伐を繰り返しながら果てしなく永く共に歩んでいく覚悟をしなければならないと思う。そこに価値を見出して行くことで、また新しい産業として共存共栄の道も生まれてきたりするのではないかと。
そんな事を想いながら地上へと続く坂道となってきた山中を一気に駆け下りた。


ザザーと雨音らしきと思っていたのは、山から落ちる滝の音だった。
あたし達は見事にお寺にたどり着いた
山頂、ではなく、地上の。
おそらく『龍泉寺』
その裏庭らしきところにあたし達は、そう、たどり着いた。

また裏から入っちゃったけど、とにかくここが『龍泉寺』だという事を確かめようと、
一番近くにあった、お寺っぽい建物に走りつく
どうも、本堂、ではなさそうだったが、そんな事はもうすでに関係なかった。
ここが『龍泉寺』の境内だ、という事だけで、とっても満足だった。

境内にある泉に雨が落ち輪を描いて
心配したあの音ほどではなく、小雨があたしたちを濡らしていく。
その泉にも、あの赤い橋が架かっていた
吊られてはいなかったが。

お寺を出て、そびえる山を横目にアスファルトを歩く
5分もしないうちに、砂利の駐車場にたどり着いた。

やっぱりねー、と言いながら、互いに笑いが止まらない。


でも満足だった。
こうしたい、と、その時思ったように進んでいく
その先に正解があってもなくても、そんな事は小さな事だった
感じたままに自分の足で歩いてみる
修正はその時その時していけば良い、
そしてその先にあるものが、さらにその先に続いていくのだ。
歩みを止めない限り道は続いて行くだろう
立ち止まる事も、そう悪くはない
そしてまた、道しるべを立てながら歩いていけばいいのだから。

誰かが立ててくれた道しるべのように
いいかげんなあたしの道しるべもいつか
あのボロボロに転がった「何キロメートル」の看板のように
誰かのちょっとした'飴玉'になる日が来るかもしれない。


お膳立ての連れて行かれる旅は今はいらない
予定調和のきちんと整えられた決められた旅もまた。
そう、誰か、旅の達人が言ったように
確かに旅は人生に似てると思う。
たった1日のうちの何分の1かの旅でも。




帰り道、誰となく口にした
「つり橋、探しに行こうよ!」と。

つりがね橋は恐ろしいくらいあっさり見つかった。
龍泉寺から車で数分
つりがね橋観光所、という広い砂利の駐車場みたいなとこが道沿いにあって
山から山に立派なつり橋が架かっていた。
「あのままもしつり橋行きのけもの道行ってたら、また山に到着してたんだねー、やばいねー」と笑いながら、ある事に気がついた。

そう、確か、友は高いところが苦手だったような・・・

「あのつり橋、渡れる?」
「あー、無理」

てか、だめじゃん。
じゃ、もともと、だめじゃん、つり橋。

そして、橋を見上げながらふと言った
でも、あのままもし、つり橋にたどり着いてたら、渡った・・・・んじゃないかな。


遠くても近くても
また旅に行きたい、
そう想える旅を
また出来るなぁと思う。


ちなみに、あたしたちが回ったコースは、
案内所で貰ったパンフレットに
非常に優しく書いてあるまま行けば楽々回れるお手軽コースなので!あしからず。

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